日本酒にも実家にも興味がなかった頃から一転。造りの中で囁きが聞こえるまでに|土田酒造 土田祐士さん

KURAND
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2017/03/10

全国には約1500社もの酒蔵があることはご存知ですか?そのなかでも東京で飲める日本酒はごく一部。まだまだ知らない酒蔵さんがたくさんありますね。

私たちは「どんな人がどんな思いで醸した日本酒か知って飲む。すると日本酒はもっと美味しくなる。」と信じています。

そこで蔵元さんへインタビューを始めました。今回は、群馬県の土田酒造の土田 祐士(つちだ ゆうじ)さんにインタビュー。酒蔵の4人兄弟として生まれ、日本酒に全く興味のなかった時期を経て蔵に戻ることになった経緯をお聞きしました!


 

蔵で遊んでいた少年時代とは対照的に、日本酒に興味のなかった青年時代


——まず過去についてお話を伺いたいと思います。もともと、ご実家が酒蔵だったのですか?

はい、酒蔵の長男、姉、姉、私っていう4人兄弟の末っ子です。その中で私が一番蔵で遊んでいたらしいんですよ。昔は冬場だけ十何人って蔵人が来ていて、厳しい上下社会の中で私が親方の膝に座ってご飯を食べて、みんなを和ませていたそうです。

——一人だけ。どんなことをしていたのですか?

積まれている米俵に登ったり、記憶に無いんですけど私が生まれる前から今まで働いていらっしゃる蔵人さんが言うには、室(むろ)とかにもちょこちょこ入っていたそうです。

——やんちゃですね(笑)何歳くらいまで蔵で遊んでいたのですか?

小学校低学年くらいのときにお手伝いをしたり、蔵で野球をして怒られた記憶はありますけど、それ以降は多分入ってないですね。ただ今でも米を蒸しているときのにおいを嗅ぐと、幼少時代の思い出がふわっと蘇るんですよ。移転したので前の蔵のイメージですが、小さい頃過ごした人間しかわからないんだろうなって。

——特有のにおいの記憶ですね。以前はどんな蔵だったのですか?

本当に古い蔵です。我々の祖先は120、30年くらい前に駆け落ちして新潟から山を超えて最初群馬の川場村に落ち着いたんです。そこで「新潟から来たんだから酒造りうまいんでしょ」って言われて庄屋さんからお米を預かって造ってみたら、非常に美味しかった。何年か造ったら自分でやりたいな、ということで人口が多い沼田市(当時沼田町)で旗揚げしたのが創業なんですよ。それが明治初期から中期くらい。

——すごい経緯ですね!

はい、それで美味しいって評判になって沼田でシェアが拡大されたのですが、25年前のうちの父の時代に市街地の開発で小さなショッピングセンターが建つから移転してくれと言われてしまって。20ヶ所くらい水質を検査したら、たまたま川場村と沼田が同じ水だったんです。そこで今の川場村に移転したら、実は祖先も川場だったっていう。

——それはすごい! 思い出があるのは沼田の蔵なのですね。子どもながらに馴染みの蔵がなくなってしまうときは何か思いましたか?

正直言うとそのときは中3から高1のときなので、もう全然興味がなくて、「あ、移動するんだ」くらいでした。中学校のからコンピューターゲームが好きだったので、それを作るのが夢になって、高校を出て大阪にあるコンピューターの専門学校に4年間行きました。

——なるほど、ではその頃はお酒造りをすることは全然考えていなかったのですね。

全然、ノータッチでしたね。大阪にいた間は距離があってお金もかかるし面倒くさくて、ほとんど家に戻らなかったですし。さらに私お酒が弱いので、飲み会があっても飲まないか、飲んでもビール一杯で気持ち悪くなる。実家が日本酒蔵だとも言いませんでしたし、日本酒は全然興味がなかったですね。

——そうだったのですね。ご実家は誰かが継ぐかな、みたいな。

はい、蔵は誰かやるんだろうし、無くなるんでも別に…みたいな感覚だったんですよ。
 

見えない生物の生存競争に感銘を受け、父の言葉を信じられないまま、酒造りをはじめる


——ではコンピューター関係のお仕事をされたのですか?

はい、当時通っていた専門学校に有名な会社の開発部長さんが1ヶ月か2ヶ月に1回、講師として来てくださって、「お前面白いな、面接受けに来いよ」って言われて滑り込ませてもらって、卒業後入社しました。

——すごいですね。

そこで5年~6年くらい、ゲームの企画を作ったりプログラマーさんとかデザイナーさんが作ったのをまとめたり、プランナー兼ディレクターのような形で働いていましたね。

——社会人になったら必然的に飲み会の場は増えますよね?

そうなんですよ。そこでもやっぱりビール。何人か日本酒が好きな人がいて、そういえば家日本酒蔵だなぁって思いながら、まだ言わなかったんです。

——言ったら、飲まされそうですもんね。

はい。あるとき専門学校の同級生と飲み会をすることになって、そこではじめて実は酒蔵なんだけどって言ったんです。「えっ?!じゃ飲ませてよ」と言われて取り寄せて、「おっ!うまいじゃん!」って言われて血が騒いだのが、自分家の酒を見直すきっかけになったんです。

——打ち解けられる友達がきっかけになったのですね。

はい。確か当時そんなに流通していなかった生原酒だったのですが、加熱処理していない?なにそれ、みたいな。自分で紹介できないと気づいたときに、「そういえば酒蔵だけど日本酒のこと知らないな、みんながこれだけ美味しいって言うんだから、多少いいんだろうな」と思って、少し酒の勉強したいなと思うようになりました。

——全く接点がなかった時期があって、そこでようやく実家のお酒に意識が向いたのですね。

はい、それでちょっと日本酒の勉強をしたいなって思ったとき、たまたまゲーム作りに少し限界を感じていたんです。作り手の思いと会社の都合が合わなくて。実際は才能の限界を感じていたんでしょうね。別の会社に行こうかなんてモヤモヤしているときに、両親とも全然会っていないし、父も病気もしたことがあったので、一回長期休暇を取らせてもらって、家の様子を見てきますって戻ったんですね。

——久しぶりですよね。戻った時は継ぐことを考えていましたか?

はじめは蔵を継ぐとかは全然考えてなくて、ただ知りたいな、酒造りを見ようって感じでした。プツプツしたのを見て酵母や麹の話を聞くうちに、見えない生物がお米の塊を液体にして、生存競争を繰り広げて闘っている。それをはじめて知ったときに、すごい、こんな風に造っているんだって感銘を受けました。そのとき酒造りしたいなって思ったんです。

——そこから日本酒の道に行こうかなって思うようになったのですね。お父様はどんな反応をされましたか?

すごく嬉しい、ただ両親のために戻ってくるとだけは考えないでくれって言われました。そういう形だと必ず義理が出て「親父のためにやっている」とかって気持ちが出る。本当に心から酒造りがしたいと思って戻ってくるならすごく嬉しいと。実際1割位はあったかもしれないですね、両親のためにって。でもそれは払拭して「やりたいんだ」と言いました。

——いいお父様ですね。

もうひとつ、楽しく造ってくれと言われました。「酒っていうのは造っている人の心を通すから。楽しく造れば飲んだ人も楽しくなる。お金儲けしたい、面倒くさいとかつまんない気持ちで造ると、そういう気持ちを酒が伝えてしまうから」と言われたとき、これ宗教だ、やばいって思いました(笑)化学で造るんでしょ、気持ちなんて全然関係ないじゃん!って当時27、28歳の頃は思っていましたね。父はロジカルに積み上げていく人だったので、この人どうしちゃったんだって思いました(笑)

——変わっちゃったと(笑)

はい(笑)兄姉にも戻ることを話したら、兄はどこかしら「戻んなきゃいけないのかな」という思いがあったそうですが、父母は、戻れって誰にも言いませんでした。父は三男で慶応の法学部まで行って、弁護士になる気満々のところを強制的に戻されたので、そんな思いを息子たちにはさせたくないと、強制的には絶対戻さなかったんです。

——そうだったのですね。戻るとなるとそれなりに覚悟が必要だったのではないですか?

いや、蔵にいたときの延長でやればいいんじゃん?みたいな。私は経営というよりは酒造りをしたくて、決算書も読まなかったんです。読んでいたら戻らなかったと思いますけど(笑)多分長男だったら気負っていたと思いますが、私の場合、当時はいいもの造ればいいんでしょっていう感覚で戻ったので、気負いはなかったですね。

群馬の先輩から学び、5年で杜氏に。プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、ひとりで造る


——まず酒造りってなんだってところから始まりますよね。どんな風に勉強されたのですか? 

はじめに3、4ヶ月広島で醸造研究をさせてもらって、戻って親方について、酒造りという実地を知りました。恵まれていたのが群馬で若手があつまる造り手の会というのがあって、そこで先輩方がわからないことを教えてくれたんですよ。

——ありがたいですね、どういう集まりですか?

群馬の酒をみんなでよくしようというものです。前に群馬だめじゃんと言われてしまったので、みんなでレベルアップしよう、情報交換しようというのが共通意識だったのでなんでも聞けたんですよね。

——お酒のことをほとんど知らないことをそのまま出していったのですか?

はい、群馬の方みんな温かくて。大体みなさん出戻りの方で、農大出てアパレルや食品関係の卸、証券会社にいたっていう方もいました。世間を知っているので、むしろ「新しい子きたー!」っていう感じでしたね。

——いいですね!

そこで質問して、「うちはこうだよ」と全部見せてくれたり、蔵に行かせてもらったり、うちにもきてもらって相談したり。親方はやっぱり言語化できないんですよ。職人さんなので見て覚えろなのですが、その人達は言語化してくれて、そこでグーンと伸びました。今でも、他県から群馬仲いいよねー、羨ましいって言われますよ。

——素敵ですね!埼玉の若手会みたいのは知っていましたが、各県でも色々あるんですね。

はい、埼玉は滝澤さんっていうキーパーソンがいますよね。我々もそのとき会のトップである西岡さんという方を筆頭に、40代後半くらいの杜氏の方が集めて仕切ってくれたので、みんな集まりやすかったんだと思いますね。その人の技術がすごいから教えてもらって、どんどん集まってきたっていう。

——なるほど。造りはどのくらいされていたのですか?

5年くらい、そこで杜氏になったんですよ。必ず造りは毎年やって、だんだんもと(酒母)や麹も造れるようになって、親方がそばにいる状態でタンク一本とか二本とか造れるようにはなっていたんです。

——そうだったんですね。杜氏になったのはどんなきっかけでしたか?

親方がもう造れないっていうときに替わりました。誰かに入ってもらおうと思っていましたが、群馬の会の先輩方から「お前造れるんだから自分で造れ」って言われて。すっごく悩みましたが、人に振ると新しいことがなかなかできなくなるからやってみようと。でもやっぱり何かあれば全部カバーしてくれていた親方がいなくなって、ひとりで造るっていうプレッシャーは半端なかったです。

——大きなタンクをひとつ失敗したらって思うと経済的なプレッシャーもありますよね。

もちろんそうですね。仕込みは私が計画を立てたので一本あたりの単価とか出してますし。親方がいたときは、見せて「これ温度おかしいですかね」とか聞けば「こうがいいよ」って答えがパッと返ってきた。それがなくなると、この1度を上げていいのか、真剣に悩むわけです。酒蔵の友達に聞いたり、群馬の酒の先生に聞いたり。バックに誰もいなくて自分で決めなきゃいけないっていうのは全然違いましたね。

最初のお酒は硬くてシャープ。心の囁きに従うことでまろやかに。父の言葉の真意を悟る

——自分ひとりで造ったお酒はどうでしたか?

幸い大きな失敗はなかったんです。「オレ、酒の天才だな」なんて思いましたね(笑)コンピューターの方にいたので「要はロジカルな感じで造ればいいんでしょ」「ゴールに強制的に合わせていけばいいんでしょ」って思っていて、最初のお酒は美味しいけど洗練された、硬くてシャープなお酒でした。

——そこから何か変化があったのですか?

3年くらい経ったときに、なんかあんまり失敗しないなぁと思うようになったんです。ここから変な話なんですけど、これ私が造ってるんじゃないんじゃないか、って感覚になって。というのも米とかをいじっているときに、なんとなく囁きが来るんですよ。「今、室(むろ)に入れなさい」みたいな。

——えっ?

あと米を洗っていて、漬けるだいたいの時間をテストして決めるときに「もうちょっと早くあげなー」とかいう感覚がぐあーってくるんですよ。

——えっ…。

そこで信じてバッと上げて成功したときに、天才って思っていたんですけど、どうやらご先祖様か何かが見守ってくださっているんだなーって感覚になってくるんです。

——あれだけロジカルな人だったのに。

そう(笑)その時からすごく感覚を大事にするようになりましたね。それまでは温度計をじーっと見て、「何度!」ってやっていたのを、触って「あ、今だろうな」っていう感じで。

——すごい。それは経験もあるのでしょうか。

もちろん。でも手抜きだって言う杜氏さんもいるんです、ちゃんと測れって。ただなんとなくその声に従って、目だけでなく五感を使って造ってると、だんだん正解というか、いい感じのができるようになって。そうすると数字は多少いいんじゃないかっていう気持ちになりますよね。

——そうですね。

お酒を人生に例えると、お前はこれやってこうしてああして◯◯になるんだ!みたいな強制的な人生じゃなくて、こういうふうに明るく楽しく生きればいいんじゃん?みたいな感覚ですね。そしたらお酒がまろやかになったって言われました

——えええっ!

ここで、父親の話がはじめてわかったんです。あ、私が楽しく造ると、本当に酒が変わるんだって。切れるようにシャープでふくらみが少なかったお酒と比べて、後のお酒は本当にやわらかくなっていて。これは私の気持ちが変わったからか、とはじめて父親の言ったことがすごいな、と思いましたね。

——すごいですね、造ったからこそわかるっていう。

そうですね。それで天狗の気持ちはなくなりました。体が勝手に動いてるよって感覚で造ったものは、なんかやわらかくていいお酒になっていたんですよね。そこからみんなも楽しく造ろうねって言うようになりました。

——確かに先日私(筆者)が土田酒造さんに蔵見学に行った時、色んなところに「明るく楽しく」という言葉が貼ってあるのを見ました!

そうですね、だからオープンにして、菌的には本当は良くないかもしれないけど、子どもも色んな人に触れたほうが人生観豊かになるように、菌も色んな人に触れたほうがいいんじゃない、と思っているので来ていただくことは大歓迎ですね!

——なるほど、子どもと同じように。いいですね!
 


 
造っているときに聞こえる囁きとは、いきなり強烈なお話が出てきましたね!次回はいかに納得のいくお酒を造れるようになったかなど、現在の酒造りについてたくさんお聞きしていきます。お楽しみに!

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